
遺言書は、被相続人の最終意思を明文化した重要な文書です。これに従って相続手続が進むのが原則ですが、現実には、相続人全員の合意により遺言と異なる分割協議が行われることも少なくありません。
では、そのような合意に基づいて遺言執行者が対応した後、相続人間でトラブルが生じた場合、遺言執行者に責任が及ぶことはあるのでしょうか?
この記事では、遺言執行者の法的責任やリスク、実務上の注意点について詳しく解説します。
1.遺言執行者の基本的な立場と役割
まず、遺言執行者がどのような法的位置づけにあるのかを押さえておきましょう。
● 法律上の定義(民法第1012条)
遺言執行者は、「相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する」とされています。
これは、相続人の代理人ではなく、被相続人の意思を実現する使命を持つ中立的な立場であることを意味します。
● 主な業務
- 財産目録の作成と交付
- 預貯金の解約、名義変更
- 不動産の相続登記
- 認知や相続人廃除などの届出や審判請求
- 遺贈の執行 など
2.相続人全員の合意による「遺言と異なる遺産分割協議」
遺言執行者は原則として、遺言に記載された内容に従って手続を行います。
しかし実務では、以下のような事情で、相続人全員の同意により、遺言と異なる遺産分割が行われることがあります。
- 相続税負担の調整をしたい
- 特定の相続人が不要な財産を辞退したい
- 遺留分に配慮したい
- 兄弟姉妹間で公平な調整をしたい
このような事情から、遺言と異なる遺産分割協議が成立した場合、相続人全員の明確な合意があり、かつ遺贈でない限り、実質的には合法な分割として扱われます。
3.遺言と異なる協議後に紛争が起きたら、遺言執行者は責任を負うのか?
● 原則:遺言執行者が全員の合意を正しく確認していれば責任はない
相続人全員の合意に基づいて、遺言と異なる分割協議が行われた場合、その協議が有効である限り、遺言執行者はその内容に従って行動することも可能です。
この場合において、遺言執行者が合意内容を明確に書面等で確認していたのであれば、後日相続人間で争いが起きても、遺言執行者が責任を問われることは原則としてありません。
4.遺言執行者が責任を問われる可能性がある3つのケース
とはいえ、以下のようなケースでは、遺言執行者に対して法的な責任追及がなされる可能性が否定できません。
(1)全員の同意を得ていなかった
相続人の一部が合意していないにもかかわらず、「全員の合意がある」と誤認して執行してしまった場合は、任務懈怠(民法第1015条)として損害賠償請求の対象になる可能性があります。
【例】
相続人Cが協議書に署名押印をしていない、あるいは本人確認を怠ったのに執行してしまった。
(2)遺贈や廃除など、本人の意思で放棄できない内容に手を加えた
「相続させる」という記載ではなく、「遺贈する」と記載されている財産を、相続人の話し合いで別の人に渡してしまった場合、遺贈の受遺者の承諾がなければ違法な執行となります。
また、廃除の取消しや認知など、被相続人の一身専属的な意思表示に基づく処分については、相続人の合意で変更できる性質のものではありません。
(3)遺言内容の確認や執行方法に明らかなミスがあった
財産の特定ミス、法的な性質を誤認したまま登記や名義変更を行った、などの職務上の過失がある場合、相続人や受遺者から責任追及される可能性があります。
5.実務上の対応策 遺言執行者がトラブルを避けるためのポイント
● ① 相続人全員の「書面による合意」を必ず取得する
遺言と異なる分割協議をする場合は、協議書に全員の署名押印を求めることが不可欠です。また、本人確認資料の提示や、意思確認も丁寧に行うことが望ましいです。
● ② 税理士・司法書士等の専門家と連携する
遺言の内容に反する手続きを行う際は、法的・税務的なリスクも高まります。相続に強い専門家と協力しながら慎重に手続きを進めましょう。
● ③ 「関与記録(エビデンス)」を必ず残す
後から相続人間で「言った・言わない」の水掛け論にならないように、遺言執行者としての判断過程、合意確認、協議書の内容などを、時系列で記録に残しておくことが重要です。
6.まとめ 遺言執行者の責任は「中立かつ忠実な行動」によって防げる
遺言執行者が故意に不公正な行為を行えば、当然ながら法的責任を問われます。しかし、中立的な立場で、慎重に手続きを進め、証拠を残していれば、たとえ後日相続人同士が争っても、遺言執行者が責任を問われることは基本的にありません。
とはいえ、遺言と異なる内容での遺産分割は本来の想定外の処理です。相続税や民法上の制限にも注意しなければならず、判断には細心の注意が必要です。
遺言執行に関する手続は、形式面・法律面ともに非常に複雑です。
もし遺言の執行に不安がある方や、相続人間の合意形成に懸念がある方は、経験豊富な行政書士や弁護士など、第三者の専門家の関与を検討することを強くおすすめします。